エンゲルベルト・フンパーディンクは、1960年代から
1970年代にかけて女性を中心に絶大な人気を誇りました。
その35年に及ぶキャリアの中でエンゲルベルトは
1億3千万枚以上のレコードを売り上げ、64枚が
ゴールドディスク、24枚がプラチナアルバムに認定され、
4つのグラミー賞、1つのゴールデン・グローブ賞受賞、
ハリウッドの歩道の星型プレートにも名を刻まれています。
エンゲルベルト・フンパーディンク(本名はArnold George
Dorsey)は1936年5月2日、10人兄弟の末っ子として
レスターに生まれました。
第二次世界大戦中には父が駐屯していたインドのマドラスで
育ちます。
帰国後、11歳で音楽の勉強をはじめ、サックスを吹き始めます。
17歳のとき、歌のコンテストを主催しているパブで演奏して
いたアーノルドは、友達から応募するよう勧められ、
別のヴォーカルの才能、物まねを初めて披露しました。
そこできっかけをつかんだアーノルドは、1959年
「クレージーベル/ミスター・ミュージック・マン」
というシングルをデッカ・レコードから発売しますが、
結核を患い、6ヶ月の活動停止を余儀なくされてしまいます。
健康を回復したアーノルドは、カムバックするために彼の古い、
傷ついたイメージを払拭する必要があると考えていました。
元マネージャーの発案で、「ヘンゼルとグレーテル(1890年)」
を書いたオーストリアの作曲家から取った、エンゲルベルト・
フンパーディンクという新しい名前を名乗ることになります。
復帰後の活躍は目覚しいものでした。
「リリース・ミー」、「ラスト・ワルツ」、「愛情の花咲く時」、
「地平線のかなたに」、「太陽は燃えている」などのヒット曲を
次々にリリースしました。
中でも「リリース・ミー」はイギリスで56週連続チャートインし、
ギネスブックにも掲載されました。
エルヴィス・プレスリーとも大の友達となり、伝説の2人は
しばしば、お互いの歌を歌い合いました。
11年ぶりの来日公演を2005年6月29日に行ない、時を越えて
今もなお響く魅惑のベルベット・ヴォイスを披露しました。
「ラスト・ワルツ The Last Waltz」は、イギリスの売れっ子
ソングライター・コンビだったバリー・メイスン(詞)と
レス・リード(曲)の作品で1967年にヒットしたものです。
I wondered should I go or should I stay 〜♪
西田佐知子(”世界鉄道の旅”の関口知宏くんのお母さん)が
歌った「くれないホテル」(筒美京平作曲)のモトネタが
「ラスト・ワルツ」でした。