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「青い影」プロコル・ハルム A whiter shade of pale

オルガンによる荘重なイントロダクションが印象的な「青い影」。

このイントロはJ.S.バッハの曲がモチーフになっていると言われて
いますが、どの曲がモチーフとして使われているのでしょう。

バッハのカンタータ第114番「ああ、愛しきキリストの徒よ、
雄々しかれ」だという説と、管弦楽組曲第3番第2曲「G線上の
アリア」だという説の二種類があげられています。

どちらを聞いてみても、似ているような似ていないような感じで、
バロック的な進行を参考にしたというところでしょうか。



R&BバンドのParamounts(1961〜1966)で活動していた
Gary Brookerは、お互いの知人の紹介で作詞家のKeith Reidと
出会いそして意気投合し、Garyが作曲をKeithが作詞を担当し
2人で曲作りをするところから始まり、ギターのRay Royerと
ベースのDave Knights、オルガン奏者のMatthew Fisher、
ドラムのBobby Harrisonが加入し、プロコル・ハルムの結成と
なりました。


1967年4月にシングル・リリースされた「青い影」は彼らの
デビュー曲で、発売後2週間で40万枚近くを売り上げ、イギリスの
ヒット・チャートで6週間連続1位に輝きました。
60年代の英国ロック界で、ビートルズの曲をしのぎ最も大きな
商業的成功を収めた楽曲とも言われています。

ヨーロッパだけでなく、アメリカでもヒットチャート2位に入り
世界中での大ヒット曲となりました。


R&B的要素とクラシック的要素を融合させた独特の音作りは、
70年代のプログレッシブ・ロックの先駆をなしたとも評されて
います。

その後メンバーの変更を繰り返しながら10枚のアルバムを
リリース、1977年に解散します。

そして10数年の期間を経て1991年に再結成し、現在も活動を
続けています。


彼らは1972年にはTen Years After(テンイヤーズアフター)と,
2003年には四人囃子とのジョイントコンサートで2度来日
しています。


この変わったバンド名の由来は、デビュー前のある日、
リハーサルをしている最中にマネージャーからゲイリーに
電話があり、「友達の猫の血統証明書の名前がProcul Harunと
いうのだが、この響きはバンド名にどうだろう?」
気に入ったゲイリーは、最終的にそれを少し変えたProcol Harum
をバンド名にしというわけです。



この曲は、映画でも用いられています。
「再会の時」「奇跡の海」「ザ・コミットメンツ」
「ニューヨーク・ストーリーズ」など。


数年前には「青春の門-筑豊編」というTVドラマのエンディング
でSARAH BRIGHTMANが歌い話題になりました。
 

ユーミンが荒井由実時代にもっとも影響を受けたアーティスト
としてプロコル・ハルムの名前を挙げていたことも有名な話で、
「翳りゆく部屋」はそのオマージュと言えるでしょう。

では「青い影(A whiter shade of pale )」をお楽しみください。