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「ラース家の舞踏会」ミッシェル・ポルナレフ  La Bal Des Laze

1966年から1972年にかけて最大の成功を収めたフランス音楽界の
革命児、ミッシェル・ポルナレフのサウンドは、クラシック的な
感性をロックに持ち込んだ独特のもので、フランス映画の
ワンシーンのように静かな情緒をたたえた美しさを持っています。


ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)は 1944年7月3日
南仏の田舎町ネイラで生まれました。

父(レオ・ポル)はエディットピアフやイヴ・モンタンに曲を
提供していたロシア系の作曲家でした。

彼は5才の時からピアノを習い始め、パリのコンセルバトワール
(パリ音楽院)に入学、天才ピアニストとして、将来は
コンサート・ピアニストになるべく音楽づけの毎日を
送っていました。

しかし、ジャズやロックなどアメリカの音楽にひかれ始めていた
彼は、クラシック音楽から方向転換し、兵役から開放されて
からは銀行員や保険のセールスマンなど、職を転々と変え、
パリに出てストリート・ミュージシャンとして生活を始めます。

フランス各地やイギリスを放浪したあと、パリに戻り、
1966年5月、4曲入りEP「ノンノン人形」でデビュー、数週間で
15万枚を超える大ヒットとなります。

日本では1971年8月にCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ」
が発売され、40万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

1971年〜1979年に4回の来日公演を行なっています。
異様に大きなサングラスのルックスでも話題を呼びましたが、
熱烈なファンに取られてしまう事件があり、あやうくコンサートが
中止になるところでした。



1973年、信頼していた財産管理人の裏切りにあい全財産を無くし、
また税務署から未払い分の税を請求されてアメリカのロス・
アンジェルスへ移住してしまいます。

1975年、アトランティック・レコードから英語で吹き込んだ
レコードを発売しますが、セールス不振のため創作意欲を
失ってしまいます。
(1977年の「フランスへの手紙」は名曲です)

1980年代にフランスに帰国し、1989年に「グッバイ・メリールー」
をリリース。
1990年アルバム「カーマ・スートラ」発表。

1994年に失明の恐れがある両眼の白内障を手術。

再びカリフォルニアにもどり、1995年9月27日に
ロス・アンジェルスのロクシーでコンサートを開き、
これがアルバム"Live at the Roxy"として1996年春に発売
されました。



2007年3月2日 本国フランスでは1973年以来、34年ぶりとなる
コンサートツアーをパリから開始しました。

最初はパリで6夜のコンサートが予定されていましたが、
ファンの要望で追加。
2006年5月に予約が始まったものの24時間で4万席を
売り切るという人気振り。

結局、14万席(52.5ユーロから140ユーロ)も売り切れ。
プレミアムがつくのを避けるために追加販売がされたほどでした。


「愛の願い」「哀しみの終わるとき」「愛の休日」
「忘れじのグローリア」 「悲しみのロマンス」「悲しきマリー」
(邦題は「愛」「悲しみ」を付けるのが好きですね)
 など、美しい曲がたくさんありますが、

「ラース家の舞踏会」をとりあげてみました。
2007年!!のコンサートライヴから。




「シェリーに口づけ」は本田技研工業「ゼスト」のCMにも
使われましたね。


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