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「暗いはしけ」アマリア・ロドリゲス Barco Negro

アマリア・ロドリゲス(Amália Rodrigues、
           1920年7月1日-1999年10月6日)
は、そのメリスマティックなファドの歌唱でサウダージ
(Saudade)を表現する、ポルトガルの歌手、女優です。


アマリア・ロドリゲスは、リスボンに生まれました。
両親はポルトガル中東部出身で、少女期は貧しい生活のなか
港でオレンジを売りながら歌い、やがて18才の時に一流の
ナイトクラブ「ファドの家(Casa do Fado)」に出演し反響を
呼びます。

アマリアは「ファドの家」を登竜門に、ミュージカルの分野でも
成功を収め、ファド歌手として認められるようになりました。

やがてアマリア・ロドリゲスは主演映画が作られる等、
ファド歌手として以外に大衆的な人気も博するようになり、
国民的歌手になります。

「アマリアが風邪をひけば、通貨エスクードの相場が下がる」
とまで言われるほどでした。

1974年、独裁政権が崩壊すると、国家的歌謡として擁護されて
いたファドは人々の心から離れてしまい、国民的歌手の
アマリアでさえも批判の対象に挙げられる事がありました。

しかしその20年後、EU参加の動きの中で自国文化再興の兆しが
出てくると、若者を中心にファドを再評価する動きが現れました。

1999年の死にのぞんでは、ポルトガルは国葬をもって送りました。



ファド(Fado)とはラテン語のfatumに由来し「運命」の意味が
あります。

「ファド」の起源は、大航海時代にイスラム、アフリカ、
などの民族音楽がポルトガルに伝わったとか、1800年前後に
ポルトガルやブラジルでさかんに歌われた感傷的な歌謡の
モディーニャと、今のサンバの前身ルンドゥーに起源を持ち、
19世紀半ばにリスボンの下町で生まれたとも言われています。

ファドにおいては、ポルトガル語圏特有の情感「サウダージ
(Saudade)」が歌われます。
それは、失ってしまった人、土地、時間などに対する郷愁を
表すもので、懐かしさ、悲しさ、やるせなさなどが入り
交じった、ポルトガル人独特の感情らしいのです。

痩せたポルトガルの土地柄から、海へと乗り出す男達と
その帰りを待つ女達から生まれた情念とも言われています。

通常、民衆の愛の心をテーマとするファドはもの悲しく
抒情的であり、ポルトガル人の細やかな感情を巧みに
表現しています。
伴奏はポルトガル・ギターとスパニッシュ・ギターと
決まっています。
リスボンのファドと、大学都市コインブラのファドの
ふたつがあり、アマリアは前者に属しています。



 「暗いはしけ    BARCO NEGRO」
  (Caco Velho , Piratini / Mourao-D.J.Ferreira )


アマリア・ロドリゲスの名とファドというジャンルの存在を
世界中に広めた記念碑的な作品です。

1954年に公開されたフランス映画「過去を持つ愛情」
(原題"Les Amants Du Tage"「テージョ川の恋人たち」
 フランソワーズ・アルヌール、ダニエル・ジェラン主演)に
アマリアは出演し、ファド・ハウスの場面で「暗いはしけ」を
歌いました。
その歌は、裏切った妻を殺してしまった男と、英国貴族の夫を
殺した女、リスボンで出会い愛し合った主人公2人の悲しい
恋の宿命を暗示しています。


その映画のシーンとなったポルトガルの町ナザレは、
「暗いはしけ」の大ヒット以降ヨーロッパ各地から
観光客が訪れ、かってのひなびた漁師町は夏のバカンス地と
なっています。


原題は「Barco Negro(黒い小舟)」で、暗い波間に消えた
漁師である夫、その愛する人の面影を追い求める妻の心を
歌っています。

また、この曲は元来は奴隷制時代を題材にしたブラジル生まれ
の曲で、「黒い母」(カコ・ヴェーリョ、ピラティーニの合作)
というのが原曲の題名です。
映画のために詩人のダヴィー・モーラン・フェレイラが新たに
作詞してアマリアが歌い、世界的なヒットとなりました。

「暗いはしけ」についてアマリアは「はじめ私はブラジルの曲とは
知らなかった。アフリカの曲かと思っていた」と語っています。