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「ウシュクダラ」アーサー・キット Üsküdar'a

トルコに旅行したときに、現地の人にトルコの歌をなにか
知ってる?ときかれ、「ウシュクダラ〜♪」とひとふし
歌ったらとても喜ばれました。

イスタンブールの世界遺産になっているヨーロッパ側の
旧市街から、ボズポラス海峡をはさんだアジア側に、
ユスキュダルという名前の波止場があります。
ユスキュダルをトルコ風に発音すると「ウシュクダラ」
になります。


むかしラジオで「ウシュクダラ」という曲を聞いて、
長い間どこの国の言葉かもわからずに「不思議な歌だなあ
と思ってました。

日本でも江利チエミさんが、「ウシュクダラはるばる
訪ねてみたら……」と歌っていて、妙にエキゾチックな
メロディーが耳に残っていました。


この曲を歌ったのはアーサー・キットというアメリカの
ポップス歌手ですが、トルコの歌なのでヨーロッパ編で
とりあげます。

アーサー・キット(Eartha Kitt)は1927年1月17日に、
Black Cherokee(北米黒人インディアン)の母と
白人の農夫との間に生まれました。

子供の頃には他の黒人と比べて肌がミルク珈琲色
だったことからイジメを受けて育ち、芸能生活では
肌が黒いということで役を貰えず苦労したそうです。

アーサー・キットは16歳でロシア系ユダヤ人ダンサーの
キャサリン・ダンハムが1940年代に創設した
Negro Dance Troupe(黒人舞踊団)に参加して、
アメリカはもちろん南米やヨーロッパを廻った後、
歌手として活動の場をパリのナイトクラブにおきました。

歌手として名が知れてきたアーサー・キットは、
1950年代から映画や舞台に出演するようになりました。

あのオーソン・ウエルズがアーサー・キットを「世界中で
一番刺激的な女」と称賛して、「Time Runs」という映画に
出演させました。

帰国したアーサー・キットは1952年に初めて故郷の
合衆国で歌いました。
それがブロードウエイのミュージカル・ショー
「New Faces of 1952」で、そのときアンコールで
「ウシュクダラ」を歌い、1953年に吹き込まれて
世界的ヒットとなりました。

同じ年に、シャンソンのシャルル・トレネが歌った
「セ・シ・ボン」をアーサー・キットが歌い、
これも大ヒットしました。
日本では昭和28年のことなので、セクシー過ぎて
NHKでは放送禁止になったという話もあります。

アーサー・キットは色々な国の歌をその国の言葉で
歌いましたが、日本の童謡「猩猩寺(しょ、しょ、
しょうじょうじ♪)The Hungry Racoon」を
なんともエキゾチックに歌っていたのを聞いた記憶が
あります。

アーサー・キットにはこんな逸話も残っています。

1968年のこと、ホワイトハウスでの昼食会に招かれた
アーサー・キットはジョンソン大統領夫人の面前で
ベトナム戦争反対の声明を出したのです。
その結果、なんとCIAまで絡んで、アメリカ国内では
仕事をすることが出来なくなり、10年間をヨーロッパ
で過ごしたそうです。

1987年、ヨーロッパから帰国したアーサー・キットは、
10年ぶりのロードウエイの舞台「Timbuktu!
(トンブクトゥ)」でミュージカルのアカデミー賞
ともいうべきTony賞にノミネートされ、2年半の
ロングランとなりました。 




「ウシュクダラ」の原曲はトルコ民謡で、対岸の
イスタンブールに出稼ぎに行っていた恋人が帰ってきた
喜びを歌ったものです。

原題名は「キャーティップ(Katip)」で、本来「書記」
とか「代官様」といった下級役人のことですが、転じて
「愛する彼氏」の意味にも使われています。


Üsküdar'a gider iken aldi da bir yagmur 〜

「ウシュクダラに行ったら、雨だった 〜」と始まります。




最後のシーンが笑えます。


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