コミゾに生まれる。
国籍はイタリア!なのです。 父は炭鉱夫でした。
1947年にベルギーの炭鉱町ジュマップに移り住みます。
歌が好きで13歳のころには数々の歌のコンクールで優勝します。
1961年ラジオ・リュクサンブール主催のコンクールでオリジナル曲
「もし打ち明けられたら」を歌い優勝します。
そのときのコンクールの審査委員長シャルル・アズナブールに
認められ、ベルギー・フィリップスで最初の録音を発表しました。
1962年(18歳)10月に「ブルー・ジーンと皮ジャンパー」、11月に
「サン・トワ・マミー」を立て続けに発表し、ベルギーで
ヒットします。
この頃すでに自作曲200曲以上のストックを持っていたそうです。
1964年には「雪が降る」のヒットでフランスでも人気が出ます。
1965年(21歳)オランピアに初出演。
前売り券は完売し、当日は警官隊が出動したほどでした。
ライヴ・アルバムは40万枚の大ヒットとなり、ビルボード誌
人気投票フランス部門で第一位に。
作家のフランソワ・モーリャックはアダモの詩を絶賛しました。
1971年 (27歳)「雪が降る」の日本語盤が驚異的ミリオン・
セラーに。
1993年からはベルギーのUNICEF大使を務めています。
アダモは1970年代、80年代、90年代と様々な社会派音楽の
創作に勤しみ様々な愛の形を歌ってきました。
そこには戦争や中東問題など様々なテーマも取り上げられ、
様々な状況からの人類愛を表現しています。
それでは、セカンドアルバム「我らがアダモの前進」(1964)から、
「 夜のメロディー La Nuit」。
人間の心の奥底に潜む悪魔的な感性を劇的に表現しています。
最近のプロモーション・ヴィデオのさきがけと言えますね。
森進一さんの声を初めて聞いたとき「あっ、アダモだ」と
思いました。