1949年8月23日にギリシャのコルフュ島に生まれ、9歳までの
幼女時代はアテネで、その後ドイツに転居して、ハンブルグで
学校教育を受けました。
高校時代には英語とフランス語の勉強や歌と踊りのレッスンを
受け、15歳の時、ドイツで「ナイフとフォークとハサミと光」
というレコードをリリースし、ヒットしました。
そして17歳でルクセンブルグ代表として出場した、1967年の
第12回ユーロヴィジョン・ソング・コンテストで
「恋はみずいろL'amour Est Blue」を歌い第4位に入賞します。
この時ルクセンブルグ代表のヴィッキーは、大会では苗字を
一切使用しませんでした。
独裁国家であった母国ギリシャとのいかなる繋がりも避ける
ためだったそうです。
父親のレオはファイブ・トップスというヴォーカル・グループの
リーダーでしたが、これ以降、ヴィッキーのマネージャー兼
プロデューサーとして作曲やアレンジもしています。
「恋はみずいろ」はアンドレ・ポップの作品ですが、日本でも
人気があったポール・モーリア楽団による演奏バージョンも
ヒットしました。
67年、68年、70年、72年に来日しているヴィッキーは、
「待ちくたびれた日曜日」、「カーザ・ビアンカ(白い家)」
そして1972年17回目ユーロヴジョン・コンテストで
第1位を受賞した「想い出に生きる Apres Toi」などを
自然な日本語で歌っていますが、6ヶ国語を話せるということが
それからの世界的な活躍につながっていきます。
それでは、17歳のヴィッキーが歌います ♪
ヴィッキーはフレンチ・ポップス歌手と思われていますが、
ホームページはドイツ語なので、現在も
ドイツを中心に活躍しているのでしょう。