オープニング。
1948年、ウィーンはアメリカ・ソ連・フランス・イギリスにより
勝手に分割統治されていた。
大観覧車。 夜の大追跡。 地下水道。 光と闇。
そして、印象的なラストシーン。
映画「第三の男」
監督:キャロル・リード
脚本:グレアム・グリーン
音楽:アントン・カラス
主演:オーソン・ウェルズ
ジョセフ・コットン
アリダ・ヴァリ
1949年9月ロンドンで初めて公開され、その後、カンヌ映画祭で
グランプリを受賞しました。
日本での公開は3年後の1952年9月でした。
1950年のアカデミー賞では撮影賞(白黒部門)を受賞し、
監督賞と編集賞にノミネートされました。
グレアム・グリーンに、ウィーンを舞台にした物語をキャロル・
リードのために書いてほしいと頼んだのは、名プロデューサーの
アレクサンダー・コルダです。
グレアム・グリーンは『第三の男』を、「読んでもらうために
ではなく、見てもらうために書いた」と言っています。
アントン・カラス(Anton Karas、1906年7月7日 - 1985年1月10日)は
オーストリアのツィター奏者、作曲家です。
ハンガリー人の家系である工員の息子としてウィーンに生まれ
育ちます。
12歳でツィターの演奏を始め、15歳の時には既にヴィーンのホイリゲ
(居酒屋)で演奏家として自活していました。
第二次世界大戦の前後を通じて、週に15ドルという薄給で妻と3人の
子供を養っていましたが、1948年(1949年という説もある)、
ウィーンのホイリゲで演奏中に、キャロル・リードに見出され、
『第三の男』の音楽担当者に抜擢されました。
この音楽が大人気を呼び、1949年9月には英国王室の招待を受け、
バッキンガム宮殿で演奏。
1951年にはローマ教皇の招待を受けてバチカン宮殿で演奏しました。
オーストリアに帰ったカラスは自分のホイリゲを持とうとしますが、
カラスの家系がチェコ・ハンガリー系であるという事実、彼の成功に
たいする嫉妬、そしてチターという楽器にまつわる音楽的差別など
から、オーストリア社会から完全に排斥されてしまいます。
それでもカラスはウィーンが好きでとどまり続けました。
カラスが家族を除いて唯一心を開くことのできた友人は、
結局キャロル・リードだけだったと言われています。
並木道をまっすぐにアンナが歩いてきます。
マーティンズが道端で待っています。
しだいに近づくアンナと舞い散る枯れ葉。
アンナはかたわらのマーティンズに一瞥もくれずに、そのまま
歩きつづけ、そこでチターがジャランと鳴って.....
Anton karas The Harry Lime theme
ウィーンには「第三の男ミュージアム」があります。
http://members.aon.at/3mpc/yapsamml.htm
博物館のオーナーは10年ほど前からのコレクターで、
4〜5年前に個人で博物館をOPENしたそうです。
奥さまは京都に2年間住んだ事があり、日本語がペラペラで
通訳の仕事をされているそうです。